最近読んだ本

音楽を「考える」 茂木健一郎/江村哲二 著 ちくまプリマー新書

脳科学者と作曲家の対談形式で、
一気に読めてしまう本です。
日頃疑問に思っていることを解決するヒントや、
「そう、そう!」と、共感できる部分が
随所に散りばめられていました。
何よりも、読みやすかったのがGood!

書き留めておきたいこと、たくさんあるのですが、
そのなかで2つほど。


(その1)
作曲も、演奏も、
自分の中にある音を「聴く」作業であり、
音楽を聴く、という行為も、
自分の「外」にある音楽をインプットしているようで、実は、
自分の「内」にある音を見つけ出す作業である、という話がありました。

自分の内なる声を聞く・・・
・・・周りを常に、膨大な情報や喧騒に取り囲まれている現代社会の中では、
自分の内なる声を聴くことなど、全く意識できず、
また、それをする時間が、なかったりしませんか?

一人になれるはずの家に帰っても、
直ぐにPCのスイッチを入れて、ネットに接続、
ブログめぐりで、誰かとつながっている「仮想」に身を置きたくなってしまう。

だから、たまにはじっと、自分の内なる声に、耳を傾けてみませんか?
癒しもよいけれど、本当に自分を癒せるのは自分自身。


(その2)
「創造」するという行為について。
(作曲や演奏―
演奏も、楽譜を参考に、過去に作られた音楽を再現することでありながら、
演奏者の内なる声を反映するという意味で「創造」としています)

まるで、神が降りてきたかのように、
とんでもないモノが生み出される瞬間があります。
(江村さんが12時間、全く時間の経過を忘れて
作曲に没頭した時の体験などが書かれていました)

茂木さんによると、
脳がパニック状態(危機)に陥った時のホメオスタシス※として、
とんでもない作品や、演奏が生まれるのではないか、と。

※ホメオスタシス・・・
生物体のもつ体内諸器官が、
気温や湿度などの外的環境の変化や肉体的変化(姿勢・運動)に対し、
ある範囲の均衡状態を保つこと。

やはり、突き抜けちゃった作品や演奏を生み出す瞬間には、
そこまで自分を追いつめている、ということですね。

考えてみれば、今までの自分の経験の中で、
本当に「突き抜けちゃった」演奏、というのは、
3回ぐらいしか、なかったように思います。

でも、それが出来てしまった前の苦しみを再現したいかというと・・・ ? です。
いや、そういう心理的(脳的?)状況を意識的に作りだすことは
不可能なことなのかも・・・
江村さんも、受賞作品を書いた時の「12時間飲まず食わずトイレも行かず」の状態に
意識してなることは出来ない、と言っていましたし。
神様、いっしょうけんめい精進するから、
あまり苦しめないで、降りてきてくださるのを待ってます~(笑)


・・・以上でーす。長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!
[PR]

by cembalonko | 2009-08-27 10:32 | 日々のいろいろ | Comments(2)

Commented by k.n.in kobe at 2009-08-27 21:31 x
 詩人が詩を書く際にも、言葉を待って=言葉に仕えて、言葉に注意して(attend: wait on するために wait for する) 、ということは言われるようです。「内心の言葉を聞く」 というのと同一の発想かもしれません。

 また、陳腐ではありますが、「ミューズが降りてきた」時にこそ
詩は書ける、そしてそれは一種の狂乱状態に近い、とも、伝統的
にいわれます。今風に言えば「神降臨」というところでしょうか。
いみじくも「熱中して」 (enthusiastic) の語源的な意味は「神の霊感を受けて」(inspired by god)、だそうです。

 しかし霊感を受けるために「狂乱」状態に追い詰められたくはないなあ、とは思います。読者(ないしは聴き手)と作者では立場も違いますが、ちょっと難しいパズルを解いていたら、何となく解けてきた、という展開になって欲しいです(あるいは建物を見ていたら
設計図が見えてきた、とか。「詩」はごんべんに寺、言葉で立てた
家でもありますし)。
Commented by cembalonko at 2009-08-28 23:32
おそらく、自分の意思で狂乱状態に陥ることはできないのかと。
「極度の集中状態」が、脳科学的に言うと、一種の「危機」なのでしょうね。
それにしても・・・創作とは、険しい道です。