歌詞印刷費に消えた?ヘンデルのギャラ

バロック音楽講座、終了しました~♪
今日は、テーマとは関係ないけれど、初めに
ロワイエの「スキタイ人の行進」を弾いちゃった。暗譜で。
(どっちみち楽譜見てる暇がないような曲なんです。。。)

今日のお話に出てきたことで、
自分が調べながら面白いな~、と思ったのは、
若かりしヘンデルの、ローマ滞在時代。

ヘンデルは20代の前半にローマに来て、
ルスポーリ侯爵から援助を受け、
1707年から08年にかけて、住み込みの作曲家をしていました。
ルスポーリ侯爵とは、当時ローマで芸術家たちを支援した有力なパトロンの一人です。
ローマでは、枢機卿や亡命してきた他国の王族、各国の大使・外交官などが、
音楽家や詩人・哲学者などに援助を惜しみませんでした。
なにせ、宗教改革後にあっても、カトリックの総本山は充分潤おっていたのですからねー

1708年の復活祭の日曜日、カペーチェ作詞+ヘンデル作曲の
オラトリオ「復活」が上演されました。

ルスポーリ侯爵家の、当時の収支決算書が残っています。
お金に関することは、いつの世でも、事細かに記録されるので、
いろんな分野の研究者に、貴重な情報を提供しています。

さて、ルスポーリ侯爵家の収支決算書で何が分かったか。

この復活の公演において、35人の弦楽器奏者と7人の管楽器奏者に支払いがなされています。
そして、公演の招待客の数をはるかに超える
1500部もの「歌詞カード」が印刷されたのでした。

その当時、10円コピーなんかなかったし、紙代も高かったので、
印刷には私たちの想像を超える出費がなされたと思われます。
それなのに、なぜ、こんなに歌詞カードを作ったのか、といえば、
聖水曜日(復活祭の日曜日の直前の水曜日)に、
ライバルのパトロン・ オットボーニ枢機卿が、
自分で歌詞を書いてA.スカルラッティに作曲させた「受難曲」を上演した。
そこで「ここで負けてなるものか!」と、
自分のところで行った公演を、ローマ中の有力者に宣伝するために、
1500ものリーフレットを作ったのではないでしょうか。

さて、このように歌詞カード印刷の記録は残っているのですが、
ヘンデルに対する報酬の記録が全く、ない。

公演に際して、作曲者がチェンバロを弾きながら
オーケストラの指揮をしたことは、おそらく疑いないことと思われます。
まあ、パトロンに対して、日頃の「お礼」として、
ボランティアで公演にあたったということも考えられますし、
もしかしたら、帳簿に記載されない形で、報酬を受け取ったのかもしれません。

人間の、昔も今も変わらないところ・・・
あの人には負けたくない、権力も、財力も、地位も、名誉も・・・アレモコレモナンデモカデンデモ・・・
気前良く見られたい、ケド、渋れるところは渋りたい・・・
歴史上に名を残す偉人であっても、そういう「人間っぽさ」が垣間見られる時、
ニヤリ♪ってしてしまいます。
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by cembalonko | 2010-05-27 17:22 | 音楽 | Comments(0)