明日は何の先生?

大学にて。
先週の月曜日は、西洋史を約80分、講義しました。
明日は、キリスト教や聖書について、お話せねばなるまい・・・と思っています・・・
私が本当にやりたかった事にたどり着くまでの道のりは、予想外に長かった。
でも、将来学生達が、西洋の文化や芸術に、より興味を持った時に役に立つ「種」を、
たくさん撒いておいてあげるのが、
結果的には彼らのためになるのではないか、と。
西洋人の中に、キリスト教というのは、
まさに、非言語的なレベルで浸透しているものではないか、と思うからです。

さて、昨日は柔術の稽古でした。
先週の課題だった所は、感覚がつかめてきて、嬉しかったな~♪
言葉ではうまく言えないけれど、
「力を抜き」「頭で考えず」「心と一体になった動き」
が出来た時は、本当にスッキリします。

最近、レクチャーを準備する機会が多く、
スズメの涙ほどしかない左脳をフル回転させていたけれど、
身体(古武術の場合は特に丹田と第1・第2の腰)に意識を戻すことで、
そのスイッチが切れます。
左脳スイッチOFF! これは、楽器を弾く時の理想的な状態ですが、
習得するまでの道は、まーだまだ険しいです。ハイ。 道着を着ただけじゃだめだぁ。
[PR]

by cembalonko | 2010-12-05 22:03 | 古武道 | Comments(5)

Commented by k.n.in Kobe  at 2010-12-06 20:06 x
 上述のエントリーを興味深く読みました。今朝インターネットラジオでBBCを聞いてたら、現代の英米の代表的な無神論者のChristopher Hitchens と、カトリックに改宗したイギリスの元首相のBlair のデイベートをやっておりました。事ほど左様に西洋の知的世界の正統は、
キリスト教ではなく啓蒙思想となったか、と思った次第です。
 ただ、デイベートが成立する程度にはキリスト教に影響力がある、ともいえるし、日本における「葬式仏教」がそうであるのと同様、冠婚葬祭といった人生の節目、あるいは祝祭日のような日常生活の節目、で、それとなく顔を出し影響力を持っているといえるのかもしれません。文学者の世界を見る限りでは、19世紀前半以前・以降で、宗教、という要素を
からめて論じるか論じないかが分かれるように思います。啓蒙思想以前のものを論ずる際には、どうしてもキリスト教が前提とする「超越」とか「向こう側の世界」の観念は抜きにできないのではないでしょうか。
キリスト教、それ自体がヨーロッパ製のものではないことを頭に入れてrも、ですが。
Commented by cembalonko at 2010-12-08 00:25
私の場合は、ベーシックもベーシック、
あくまで、芸術にインスピレーションを与えたものとしての観点でしか
論じられません。
だってぇー、アタシの専門じゃないしぃー (いきなり女子高生)

・・・いや、私なりの見解は持ってますが、まずは客観的なことからやってます・・・
Commented at 2010-12-08 01:22 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cembalonko at 2010-12-08 14:42
>文化を読み解く「暗号表」としてミニマムの神学的・歴史的知識は必要なのかと思います。

そうなんです!そこなんですよねー
音高から音大に行っちゃた私なんかでも知ってるような
世界史の話を知らない一般大学の大学院生に、
驚きもしたし、時代の流れなのか・・・とも思いました。
Commented at 2010-12-09 00:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。