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古武道と楽器の稽古について真剣に考えてみた

2日の土曜日に、柔術の新クールが始まりました。
前クールでは、稽古の前に「ミニ講座」があり、
道歌(古武術の教えなどを説いた詩歌)を教わりました。

その中で、脳裏を離れなくなった言葉が。

「型をしっかり身につけ守らなければならないが、囚われてはいけない

・・・これ、何かと似てません???
演奏のこと!?って思ったくらい。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

私の習っている古武術(柔術)は、
受け身、捌き技、短刀などの「」を
繰り返し稽古して、身に付けていきます。
この、反復練習をして、最終的には無意識に出来るようにする、っていうところ、
前から、楽器の練習と同じかもね~、と思っていたわけです。

・・・でも、実はちっとも同じじゃなかった。

楽器の練習の場合、
例えば、あるフレーズが無意識にとっても上手に弾けちゃったとしたら、
まず何をするかというと、
その、うっかり弾けちゃった時の手や指の状態や、
音楽の状態を思い出して分析し、再現しようと試みます。
4の指(薬指)をゆっくりと上げたかな?とか、
3拍目が紙一枚分くらい早かったかな?とか・・・
この方法は、かなり合理的で、
思考」によって描いた設計図をなぞって、
何度でも同じように再現できるようになるのが目標。

ところが、柔術の稽古の場合は、
思考」が働きすぎると、とたんに技がかからなくなる。

鉄則その1 「分析しちゃいけない」

柔術の基本は、丹田(おへその下の指3本分くらい下がったところ)を
常に意識しておくことなのですが、
そうすることによって、過剰な「思考」をOFFにし、無我の状態になる。
そうなった時に初めて、技がかかるのです。

ここで疑問が。
楽器であるフレーズを練習するのも、
武術の型を稽古するのも、同じ反復練習の繰り返しなのに、
なぜ、武術では、動きを「分析」すると、出来なくなってしまうのか?

それは、柔術は「武」の「術」でありながら、実は「身体意識」の訓練だから。
師範代がおっしゃるには、

型を身につけることは、長年の身体の癖をとること」だそうです。

身体の癖をとる、ということは、
同時に、その原因を作っていた
自我」に囚われていた自分に気づく、っていうことなのです。
自我を捨てて、それまでそのせいで封じ込められていた潜在能力を
出し易くする、そんな訓練なのですね。

でも、実際にやってみると、
身体意識」というものが、いかに脆く崩れやすいものか
=いかに自分が「自我」に囚われ易いか、よーく分かります。
ほんと、私なんか凝り固まった自我のカタマリですから・・・

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

あ、ほんとに書きたいところまで たどり着かんかったー (^^;
このお話、続くかも、です。

長文にお付き合い下さり、ありがとうございました。m(__)m

by cembalonko | 2011-07-05 01:08 | 古武道 | Comments(0)