古武道と楽器の稽古について真剣に考えてみたVol.2

私が古武術を教わっている福島督元師範は、
古武術に携わって40年になる、と仰っていました。
古武術に入門する前は、いわゆる現代武道
(スポーツとされている武道。柔道や合気道、空手など)の修行も
されていたとのことですが、「会得がゆかず」
伝承者がたった一人という富山藩に伝わる流派の門前に毎日通い、
何年目かに(!)ようやく入門が許されたとのこと。
そして、そのたった一人の伝承者となられました。

私は、ほぼ毎日鍵盤に触る生活を始めてもうすぐ40年。
チェンバロに変わってから、やっと18年。
そして、柔術を始めて、4年目に入りました。
柔術を始めて、何が変わったかといいますと・・・
一年前(2010年3月)に書いた柔術教室のアンケートを転載しておきます。

「・・・もともと、楽器を弾くために無理のない体の使い方を習得したくて、柔術を始めたのですが、丹田が分かってきたら、それ以上の効果があることが分かり、驚いております。例えば先月、かなりプレッシャーのかかるコンサートがあり、その数日前から緊張のために眠れなくなったのですが、その時に丹田に意識を下ろしたところ、不安でいっぱいになっていた「思考」のスイッチがOFFになり、眠れたという経験がありました。」

「また、楽器を弾いているときも、丹田に気合を入れておくと、腕や手に力が入らずに、楽器の鳴りが良くなることも体感できております。チェンバロはピアノと違い、本来、音量を変化させることがほとんど出来ない筈なのですが、演奏者による楽器の鳴り方の違いは、確かにあり、そこには、物理的なものではない何かが働きかけているのではないか、そしてそれを自分で操れるようになったら、演奏技術としてまた一歩前進できるとのではないか、と感じています。・・・」

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

さて、古武術の稽古と楽器の練習の違いを考えることで、
何が見えてくるのだろうか、と思って書き始めたので、続けますね。

私は、前回書いたような、合理的な練習方法を
(自分の状態を分析し、よりよい状態で再現するために反復練習)
子供のころから叩き込まれました。
私のピアノの先生は、
手指や腕の解剖学的な構造まで加味したテクニックを教えて下さいました。
それは今でも役に立っています。

この、西洋合理主義的な練習方法に、私は
一つのキーワードが隠れている、と思いました。

それは「効率」。

プロを目指して音楽教育を受けてきた人なら誰でも、
少しでも早く、少しでも高いテクニックを身に付けるには
どうしたら良いかを、常に考えて(考えさせられて)きたでしょう。
だから時には、自分の身体に本当に合ったテクニックとは何かを
身体が気付いていく前に、先生からどんどん課題を与えられ、
それをこなすのに必死だった、という経験があったかもしれません。

今、身体意識という言葉で表現される、
古武術の極意のしっぽに触れるか触れないかの所にいて、
過去の自分を振り返ると、
「身体意識を開く」という観点からみた場合、
この、効率重視の練習方法でガンガンやってたのが
はたして良かったのかどうか・・・考えてしまったりもします。
私にとっては、こういう時期は絶対に必要だったと確信しますが、
今、教えるという立場になって、
動きの質が判断できるようになって・・・
生徒さんの身体の動き=出てくる音色を通して
内面の状態までくっきりわかるようになって・・・
でも、私が楽器で教えられるやり方は、私自身が教わってきたやり方で・・・

それでいいのか????

実は、悩んじゃったりもしてます。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

あー、やっぱりもうちょっとつづくかも~
今回も長文にお付き合い下さり、ありがとうございましたm(__)m
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by cembalonko | 2011-07-06 00:49 | 古武道 | Comments(8)

Commented at 2011-07-06 23:25 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2011-07-06 23:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cembalonko at 2011-07-07 19:03
同じ「身体を使う」でも、スポーツとは全く次元が違う感覚だと思います。
それが、芸術であるかないか、の違いではないかと思います。
人から教えてもらえる事は、所詮そのレベルのことでしかない。
もちろん、そのレベルに持っていってあげられる人には、合理的な手法で精一杯やります。
でも本当は、そこから始まる世界があるし、今私が考えていることは、そのプロセスはもしかしたら簡単に
飛び越えられたのではないか、ということです。
Commented at 2011-07-07 23:44 x
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Commented by cembalonko at 2011-07-08 09:42
Those who can do. Those who cannot teach.
これは、音楽(演奏)の世界では
昔から言われていることですね。
私達の言葉で解釈すると、
いい演奏家が必ずしもいい先生であり得ないかも知れない、ということですね。
多分、言語は教えられても詩的なセンスは教えられないのではないでしょうか?
で、言語の専門家で学者さんのnさんは、とことん合理的で、論理的な方法を追求していくのがお仕事だと思います。そういう人もいなくてはね。
Commented by saskia1217 at 2011-07-08 23:26
私は楽器を弾くことをそんなに真剣に突き詰めて考えたことがないので、すごいなあと思って読んでいました・・・。

細々続けているヨガも、自分の音楽とか楽器を弾くことの為と思って始めたわけでもなく、実際今でもどちらがどちらに影響を及ぼすとかということは考えたこともなく、まったく違うこととして楽しんでいるのですが・・・

「ヨガは身体を忘れるためのもの」という考えがそこでは貫かれていて、それは全てをポジティフに、何事にも動揺することなく生きられるために(=それが結局幸せに通じる)ということに向かっています。
そこまでの修行は出来てませんけどね(笑)。
考えてみたら、それが結局自分の理想で、もしかしたら自分が音楽をしてる時も、音楽するのも、その「自分の好きなところ」に向かっているから、音楽にもヨガにも引き寄せられて繋がっていられるのかなあ、なんて漠然と思いました。

話題が全くズレちゃってますが、記事を読みながらそんなことを思い出していました。
Commented at 2011-07-09 00:00 x
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Commented by cembalonko at 2011-07-10 01:16
>saskia1217さん
コメントありがとうございます!
「ヨガは身体を忘れるためのもの」
「何事にも動揺することのないように」
これ、私の習っている古武術が目指しているところと、
とっても似ていて、ビックリです!!!

何にも動揺することなく生きられたら・・・
そして、蠅の集団に襲われようと(笑)
床を甲虫が這ってこようと(笑)
動揺することなく、いつも自分の思う通りに弾けたら・・・
それは、それは、幸せでしょう~♪ 
そういう境地、目指したいです。
あ、明日(もう今日ですね)コンサート楽しみにしています!

>非公開コメントさま
ありがとうございます。機会があったら読んでみますね!