古武道と楽器の稽古について真剣に考えてみたVol.3

今日は、池袋の「明日館」で、
チェンバロとマンドリンのライブを聴いてきました。
先輩のチェンバリスト広沢麻美さんと石渕聡さんのマンドリンの演奏。
今月、2回目の明日館でした。それも両方ともコンテンポラリー。
広沢さんと石渕さんの「新作」が盛りだくさんで、
広沢さんがチェンバロで探した「新しい音」がたくさん聴こえて、
すごく楽しかったです。

最近考えていること。
古楽が演奏のauthenticityを求めるだけでなく、
コンサートのあり方にもauthenticityを求めるとすれば、
もっともっと「今」の人の音が聴きたくなるはず・・・
だって、クラシック演奏会が過去の「作品」と「作曲家」を
崇め奉るようになったのは、
メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を
復活再演したあたりからだもんね。(違ったっけ?)

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

さて、「古武道と楽器の稽古」続きです。

柔術では、「型」を何度も繰り返し稽古することで、
「身体意識」を磨いていきます。それはすなわち
「型を身につけることによって、長年の身体の癖をとること」
しかし同時に、その「型に囚われてはいけない」という。
これは、何を意味しているのでしょうか。

柔術が実際に人の生死を分ける、実戦の場面で使われていた時代、
武士たちはこの身体意識を、究極まで磨いてきました。
ところが、この「型」を意識してしまった瞬間に、
そこには「隙」が生まれ、
それが、生死を分けたのです。

では、その「隙」って何なのでしょうか。

これも以前、師範がおっしゃっていた言葉ですが、
人間が本当に認識できるのは
「今この瞬間」「ここ」だけなのだそうです。
ところが、私達の頭の中は普通、
「今この瞬間」ではない
過去と未来のことで埋め尽くされています。
「あー!電車に乗り遅れる!」とか「晩御飯は何を作ろうかな?」とか
「昨日あそこのトリルうまく弾けなかった。どないしよう?」とか(笑)
あるいは、
「ここ」にないもののことで、埋め尽くされています。
「○○ちゃん、試験うまくいったかな?」とか「母の腰痛の具合はどうだろう」とか
「彼から電話かかってこないな(怒)」とか(笑)

この、「今この瞬間」「ここ」にないものに囚われた状態が、
「隙」なのではないかと思います。
(あるいは、「隙」と呼ばれるもののうちの一つ? 違ったらご意見下さいませ!)

仮に今、自分が武士で、刀を構えた相手が目の前に立っているとします。
相手が刀を振り下ろしてきました。
その瞬間、「型」を意識してしまったら、「今この瞬間」に「ここ」いなくなる。
つまり、隙ができ、確実に切られます。
怖いですね~ 戦国時代に生まれなくて良かったですね~

意識することなしに、身体レベルで反応するには、
「今この瞬間」「ここ」にいなければなりません。
もともと人間は、そこしか認識できないのですから。

「身体意識を磨く」ということは、
人間が認識できる「今この瞬間」に「ここ」にいること。
つまり、ただ「存在する」ことを訓練するのだと思います。

さて、演奏の場合と比較してみましょう。
演奏の場合も、「型」の稽古と同じく反復練習をする訳ですが、
これは何のためかといいますと、
まるで「歩いているかのように」「呼吸しているかのように」
自分が意識しなくても、
あるフレーズやパッセージが、思い通りに表現できるようになるためです。
「意識しなくて自然に」手指や身体が動くのが目標、
この点では、柔術の「型」の稽古と、似てなくはないです。

ところが、反復練習には、もうひとつの目的があります。
それは、
「何度弾いても、同じように、ミスなく、完璧に演奏できるようになるため」
演奏の金太郎飴状態を目指すのです。
そうすることによって、
「アタシはどんなことがあっても完璧に弾ける、
蠅の大群に襲われても(笑)甲虫が床を這ってきても(笑)」という自信が生まれる。

仮に今、演奏会の本番で舞台に上がったとします。
そして、もし、「私はこのフレーズ百発百中だから大丈夫!」と思って弾いたとしたら・・・
この時点ですでに、過去の「金太郎飴的に弾ける練習をした」という事実に
そこのフレーズがうまく弾ける「保険」を求めている訳で、
「今この瞬間」に「ここ」にはいない。
だから、表面上は完璧に弾けたように聴こえたとしても、
これでは、刀を大上段に構えた武士の前で、あっさり切られる状態・・・

演奏の場合にも、そこには捨てるべき「囚われ」がありそうです。
ですが、私達は、レッスンの時に一回でも間違えれば
先生に「もう、人間じゃない」みたいに怒られた経験を持ち
(今は知りませんが、私達の時代はそういう先生は少なくありませんでした)
そして「過去という保険に頼る」ための反復練習を余儀なくされました。
ここに、柔術の「型」の稽古との決定的な違いがあります。

でも私は、楽器の練習の中にも、柔術的にいう「身体意識」を磨き、
本当の意味での「隙」がない状態を訓練できるシステムが
組み込めるのではないか、と、思っています。
もちろん私自身は、今のところはまだ、演奏は演奏、柔術は柔術で、
しっかり修行・稽古するしかないのですが・・・
他に応用するなんて、100年早い! → 結局、一生間に合わなじゃん^^;

最後に一つ。
生まれながらにして
「今この瞬間」に「ここ」にただ「存在する」ことが出来る人が、
「天才」と呼ばれるのかもしれません。
それがどんな分野の人であっても。

「古武道と楽器の稽古について真剣に考えてみた」シリーズ、
とりあえず終わりまーす。
今回も、長文にお付き合い下さり、本当にありがとうございましたm(__)m
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by cembalonko | 2011-07-11 01:05 | 古武道 | Comments(2)

Commented by さいとうやすひと at 2011-07-11 02:59 x
なるほどなるほど。
人間は、今この瞬間しか意識できない。かぁ。真理ですね。
Commented by cembalonko at 2011-07-13 00:37
先日書いたレスを消してしまったみたいです~
が、この真理を実践しようと努力中!