震災からの一年

震災から、一年がたとうとしています。

日本に住む多くの人が、
去年の3月11日に起きた出来事が、全てなかったらいいのに、
と思っているかもしれません。

私自身は、明日のその瞬間には、
一瞬にして消えてしまった多くの命に思いを馳せ、
また涙が出てきてしまうのではないか、という気がしてなりません。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

去年の3月11日、揺れが来た時、
自宅でムファットのパッサカリアを練習していました。
翌12日に、東京オペラシティ近江楽堂で、
2人のフルーティストの方とのコンサートを予定していたからです。
リハーサル日程を組む時に、3人とも、11日は空いていたのに、
その日は個人練習にしよう、ということになり、
3人とも自宅にいられたのは、本当に良かったことでした。

さて、地震が起きた時、普通の揺れではないことを感じて、
私は家のドアから外に出て、ゆらゆらする非常階段を
6階から1階までよろよろと降りていきました。
裏の駐車場には、小さい子供さんを連れたお母さん方が集まって、
キィキィ音を立てて揺れている団地の建物を不安げに見上げていました。

その後、1・2時間は常に揺れを感じていたので、
私は家に一人でいるのも怖く、
自転車で郵便局とヨーカドーに出かけて行きました。
「結構揺れましたねー」とか言って、
自分の動揺を隠すように、普通に振舞っていた姿を
後で思い出すと、可笑しくて・・・

その日の夜、私は主催者としての立場から、
次の日のコンサートをどうするかで、悩んでいました。
ネットで11日に公演を予定している在京のオーケストラと、
他の演奏団体の対応を調べたりもしました。

また、夫と全く連絡がとれなかったので、
電話のそばから離れられぬまま、帰りを待っていました。
結局、夫は3時間ほど歩いて仕事場から帰宅してきました。

次の日の朝の8時30分、最終的にコンサートの中止を決定しました。
東京オペラシティのエレベーターが止まって、
楽器が運び込めないことが、大きな理由でした。
交通機関がマヒしてしまっていたため、
お客様の安全のことを考えても、この判断は正しかったのでしたが、
その時は、せっかく準備してきた演奏会を中止することに、
断腸の思いがありました。(一カ月後、再演することができました)

連絡がつく範囲のお客さまには、中止した旨を電話などで伝え、
万が一、連絡が付かずにお見えになるお客様がいらした時のために、
共演者の方が貴重なガソリンを使って出して下さった車で、
3人で近江楽堂へ向かい、開演予定時間に待機。
結局どなたもいらっしゃらなかったので、ほっとして、
オペラシティ内で営業していた中華屋さんでお昼を食べて帰って来ました。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

私にとっての2011年3月11日・12日は、言葉にするとこんな日でした。
でも、言葉にできない感情が、自分の内側で動いていました。

明日、命がある、ということは、当たり前ではない。
やりたいことがまだまだあった人々が、未来があった人々が、
それを全うすることが出来ず、一瞬のうちに旅立ってしまった事実を
目の当たりにしたことの衝撃は、
被災地から離れていても、
もちろん被災地の方と比べ物にはならないにしても、
やはり、確実にあったと思います。

だから、やりたいことがあったら、
躊躇せずにすぐ一歩を踏み出そう、
そう、決心しました。

あれから一年の間、いろんな人との出会がありました。
演奏もしました。
そして、いろんなことにTryしました。
成功したこともあるし、失敗したこともあります。

震災の経験を忘れない、ということは、私にとっては、
決心したことを、忘れない、ということにしようと思います。
やりたいことが出来ずに逝ってしまった人がたくさんいる。
だからそれが出来る人は、全てを、全力投球でやる。
私にとっての追悼の気持ちは、
それを全うすることで示したい、と思っています。

長くなりました。読んで頂いてありがとうございます。
自分の気持ちを確認しておきたかったので、書きました。
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by cembalonko | 2012-03-10 23:06 | 日々のいろいろ | Comments(0)