教えて頂くことのありがたさ

昨日は、約2週間ぶりに古武術の稽古に参加できました。
他の同修のみなさんはお休みだったので、なんと師範と1対1!
ラッキーマンツーマン!(某英会話スクールでそう言ってた)
そりゃもう緊張しましたが、いつもより集中したよい稽古が出来ました。
音楽屋さんは、先生と一対一の緊張感には慣れてるかもね・・・

稽古後、日ごろ疑問に思っていることを、師範に質問させて頂きました。
最近、型の動きと意識の使い方に少しずつ慣れてきて、
心に雑念が浮かふようになってしまい、
それに対処する方法はあるかどうか・・・ (ネガティヴ君君臨中・・・(-_-;))

師範のお答え。ひとこと。
「工夫して下さい。これからが修行です。」
・・・そうですよね~~ 
自分で何とかしなきゃいけないですよね~~ 
ハイ、精進いたしまーす・・・

=====

師範の師範は禅僧で、
3年間通いつめた末、やっと入門を許されたそうですが、
全く教えて下さらなかったそうです。
一つ一つの動きに対して、それが悪い時に「悪い」と言う以外、何も。
師範はそこから、ご自身でその禅僧の技の極意とは何かを見出し、
ご自身で工夫され、技を身に付けるすべを編み出されたのでした。

私たちは、何かを習得しようとする時、
「教えてもらう」ことに、とても慣れっこになっていると思うんです。
楽器を教える立場でもある私も、私たちの先生がそうしてきたように、
「どうしたらその人が早く上達するか」
「どうしたらその人にとって分かりやすいか」を、
常に考える習性があります。
西洋音楽の場合は、徒弟制度によって即戦力ある職業音楽家を
育てる習慣があったことのなごりかもしれません。

手本だけ見せて、その習得方法を全く教えず、
自分自身で気付かせる、という教え方は、
確かに、膨大な時間がかかることでしょう。
しかし、そのやり方で、
自分自身の気付きの力で何かを習得した人と、
習得方法を懇切丁寧に教えてもらって、
いわは「近道」で習得した人とは、
きっと、何かが違うはずです。

「道」と名のつく日本の芸道はすべて、
精神性を伴っていると言われますが、
その伝承形態や習得のプロセスにも、
大切な意味があるとされているのでしょう。
師範の習われた禅僧は、
たった一人で伝承してきた技が 途絶えてしまうことを覚悟の上で、
あえて「教えない」方法を取っていた。
事実、多くの門人が途中で辞めていったそうです。
そうしてでも、いや、そうしなければ伝わらないものが
あったのだろうと思います。

陽明洞道場の福島師範は、
ご自身がそうした40年余りの修行の中で得られた極意を、
私たちには数年で出来るようになるように、と、
「近道」で教えて下さっています。
師範が生涯をかけて得られたのの重みに
比べられるものではありませんが、
人生半ばで何かを志し、残り時間も少ない中、
その一部でも教えて下さろうとする
お気持ちの有難さは、本当に身に染みます。


余談:
昨日のお話の中で、
道場に掲げてある宮本武蔵が書いた水墨画を指し、
何かに「なりきること」についてのお話を頂きました。

「同じ鵙(もず)の絵を書いても、2通りの絵師がいる。
鵙になり切ってしまう絵師と、
何を描いてもその人そのものになってしまう絵師と。
宮本武蔵は、何を描いても、武蔵なんです。」

そもそも武蔵が水墨画を描くことを
昨日初めて知った程度の私には、
絵を見ただけで、それがどちらかを見抜くことは出来ませんし~
でも、いつかそういう境地に達したいものです。
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これが道場に掛けられている水墨画「布袋観闘鶏図」。こちらからお借りしました。宮本武蔵
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by cembalonko | 2013-05-14 10:48 | 古武道 | Comments(3)

Commented at 2013-05-15 00:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cembalonko at 2013-05-15 23:51
確かに。「超顕教的」に教えられたからこそ、今なんとかやっていられるというのは、自分の専門分野に関しては、その通りだと思います。西洋的なのですよね・・・
Commented at 2013-05-16 01:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。