本来の面目

こんばんは。
不良主婦(1か月ぶり2回目)最後の数時間を過ごしている私です。
さっき、ダンナからメール。常夏のどこかの国から羽田に着いたようで・・・

今回は不良主婦を楽しむ余裕もなく、
いろいろなことに追われておりました。
クリスマスカード書き、メサイアの練習、資料読み、
来年1月10日にアメリカから来日する友人のプロモーション、などなど・・・

そして、大事な古武術の稽古にも、なかなか通えておりません。

でも今日は、道場ではなく、区立体育館で行われている方の稽古に行ってきました。
こちらでは、稽古の初めに「ミニ講座」と称して、
師範が古武道についてのお話をしてくださるのですが、
これが、とても貴重な情報源なのです。道場ではお話されることが少ないので。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

本日のお話の中で、古武道を極める目的として
何度も出てきた言葉がありました。それは、

「本来の面目」

調べてみると、その意味は「自分の本来の姿。真実の自己。」で、
禅の言葉とのことでした。
武道を極めるのは、相手を打ち負かすためではなくて、
自分の本来の姿を知るためだ、というお話でした。

「ちょっと待ったぁ~!!!」 心の中の私が声をあげました。
私は、本来の自分の姿を、包み隠さず知りたいと思っているのだろうか・・・
その時、「存在の耐えられない軽さ」 という言葉が浮かんできました。
もちろん、有名な小説の題名ですが、それとは別に文字通りの意味で。
自分の本来の姿なんて、実はとるに足らないもの。
だから、そんな「自分の本来の姿」なんて、私は見たくはないのではないか。

私が明日いなくなっても、宇宙はそのままあり、地球は回る。
それでも私が日々、非力の中にあがいているのは、
その、とるに足らない自分がこの世に存在する「意味」を
自分にくっつけるためだ。
誰かのために役に立っていれば、
少なくともその人にとっては、
私がこの世に生きている価値がある、と思えるから。

しかし、そういったものに対する「こだわり」も捨て去る境地が
「無我」の境地で、「悟り」の境地なのだとしたら・・・
私は、ここでいつも壁に突き当たるのです。
向上心も「邪念」ということになってしまうのだろうか。

師範の一語が、今日一日、波紋のように自分の中で揺らめいております。
波紋とハモンドオルガンって、似てるな。
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by cembalonko | 2014-12-13 23:20 | 日々のいろいろ | Comments(0)