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一日一個の取材準備 総集編 後編 (ハンブルクほか)

一日一個の取材準備(6)ハンブルク①

聖ヤコビ教会には、アルプ・シュニットガーが1689年から1693年にかけて製作した
オルガンが残っています(ストップ数60、パイプの数約4000)。
1720年にJ.S.バッハは、ここのオルガニストに志願し、
試験演奏でブクステフーデと並ぶオルガンの巨匠ラインケンに大絶賛されました。
しかし、そのポストを得るには莫大な寄付をしなければならず、結局バッハは辞退することに。
シュニットガーは、ハンブルクで11台のオルガンを製作しました。
そのうちの2台は現存せず、5台がハンブルクにあり、4台が他の町に移築されています。
また、マグデブルクにも、3台のシュニットガーオルガンがあったにもかかわらず、
すべて破壊されてしまいました。
テレマンが洗礼を受けた聖霊教会にも、
その13年後にシュニットガーによってオルガンが設置されていたのです。

一日一個の取材準備(7)ハンブルク②

聖ミヒャエル教会は、1661年に創設され、1751年に焼失、1762年に再建されました。
再建時にはテレマンが献堂式の音楽を作曲し、演奏しました。
またその2年後の1764年に、作曲家で著述家のヨハン・マッテゾンが亡くなった時には、
マッテゾン自身が自分の葬儀用に作曲しておいた葬送音楽をテレマンが指揮し、
マッテゾンを見送りました。
マッテゾンは聖ミヒャエル教会のオルガン建造のために
44000マルクの寄付をし、その教会の地下に眠っています。
リンクは、聖ミヒャエル教会のパノラマ動画。荘厳!超バロック!良いわ~!

一日一個の取材準備(8)ハンブルク③

先輩の勧めもあり、ダメもとでシュニットガーオルガンのある教会に、
試奏許可願いのメールをしてみていたんですが・・・
な、なーんと!ここの教会から試奏許可がいただけました!!!
その気になってシャイデマンやベーム練習してた甲斐があった。
ってまだ3日くらいですが・・・(^▽^;)

ハインリッヒ・シャイデマン・・・ハンブルクの聖カタリーナ教会で30年以上オルガニストを務めた。
後任がラインケン。
ゲオルク・ベーム・・・バッハが学校に通っていたリューネブルクのオルガニスト。
ハンブルクでラインケンに師事した可能性あり。

もう一か所、試奏の可否を問い合わせていたのですが、
シュニットガーオルガンは残念ながら来年まで修復中とのこと。
ここの教会、毎年シュニットガー誕生祭を開催しているらしい。
そして修復期間中の今年も、カルテットの演奏会や、
修復に携わっているオルガン製作家のレクチャーなどが行われるようです。

一日一個の取材準備(9)ツェルプスト

マグデブルクから電車で約40分のところにある町ツェルプスト。
丁度バッハがケーテンで活躍していたのと同じころに、
ここではヨハン・フリードリヒ・ファッシュという、
バッハのライバルともいえる宮廷音楽家が活躍していました。
ツェルプスト・アンハルト候の宮廷があった城館は、
戦災に遭い、まだ修復の途中です。
破壊されていなければ、ポツダムのサンスーシ宮殿やベルリンのシャルロッテンブルク城に並ぶ
立派な城館だったとか。
またツェルプストには、ファッシュの研究機関「国際ファッシュ協会」があり、
2年に一度「ファッシュ音楽祭」が開かれています。
(今年もあったのですが、4月に終わってしまってた・・・)
こちらから、戦災前のツェルプスト城の写真が見られます。
国際ファッシュ協会のサイト

一日一個の取材準備(10)ザンクト・ガレン(スイス)

ザンクト・ガレンの修道院とその付属施設は、世界遺産に登録されています。
ベネディクト会修道院として8世紀から11世紀までの間、
ヨーロッパにおける重要な文化の拠点でした。
特に附属図書館は見どころ。1758年 から 1767年にかけてブレゲンツ地方の建築家
ペーター・トゥンプによって建設され、ロココ様式の装飾が輝く書棚はいまだに現役。
現在約17万冊を所蔵し、そのうちの約400冊が、
なんと1000年以上前の「一点もの」の写本なのです。
西洋音楽の起源であるグレゴリオ聖歌の発展に関しても、
この修道院は大きな役割を果たしました。
修道士で作曲家のノトカー・バルブルス
(グレゴリオ聖歌の作者が分かっている非常に少ない例の一つ)が活躍し、
多くの聖歌の写本を残しました。
その他、カロリング小文字(フランク王国時代に整った字体)の成立過程を示す写本、
アイルランドから来た修道士たちのケルト文化を伝える写本なども有名。
図書館では随時、入れ替えをしながら様々な写本を展示しています。
★現在の特別展示★
「もし本に正義があったら…写本の中のユスティティア(正義の女神)」
「7世紀から17世紀までの法に関する写本の展示。
古高ドイツ語の記念碑的遺産や、中世初期の色彩豊かな挿絵写本、
そしてアングロサクソン語の伝承について垣間見ることが出来る。」
…うーん、法律ですか…む、難しそう…グレゴリオ聖歌の写本が見たかったんですけど…
実物が見られなかったら絵葉書買ってこようっと!

一日一個の取材準備(11)ヴュルツブルク

最終回。今回唯一の私的に行きたかった町、ヴュルツブルク。
ロマンチック街道の出発点として、またドイツ最大のバロック宮殿「レジデンツ」
世界遺産になったことでも有名。私が3年間チェンバロを勉強した町です。
毎年開催される「モーツァルト音楽祭」はこのレジデンツ宮殿の広間で行われます。
夜に松明の明かりのもとで行われる庭園での演奏もあり、
10€で入れる当日席には、敷物を持った場所取りの長蛇の列ができます。
私も芝生の上で、みんなで持ち寄ったお弁当を食べながらコンサート聴きました!懐かしいなぁ・・・
リンクは、レジデンツ宮殿のバーチャルツアーです。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

一日一個の取材準備、11回に渡りお付き合いいただき、ありがとうございました。m(__)m

なぜ「取材準備」かというと、来年の春の出版を目指して、
音楽と町と人とのつながりをテーマに、本を書いています。

西洋音楽の起源から18世紀くらいまでを扱う予定ですが、
このころまでの音楽は、現代よりももっともっと、「人間」と密に結びついていました。

例えば、音楽を伝える方法も、電気や電波を通して、なんていうことはありえず、
人の手による生演奏をじかに聴くか、
人の手によって膨大な時間をかけて作られた楽譜を見るしかなかったわけです。
人間の営みは、それぞれの時代特有の社会・産業・宗教観などにあらわれ、
音楽のあり方はそれらとは切っても切れない関係でした。

チェンバロ弾きの取材旅行だったら、もっとオリジナル楽器をいっぱい弾きに行くとか、
楽譜を集めるとか、そういうことでも良かったのかもしれません。
でも、チェンバロが関わった音楽、そして当時チェンバロを弾いていた人たちについて、
包括的に見渡した時に、このような「人の営みと音楽とのつながり」という視点を、
もっと深めてみたいと思いました。

現地からレポートできたらいいなぁ、と思っています。(^▽^)ノ”

by cembalonko | 2015-06-14 23:09 | | Comments(0)