「修復されたもの」について考える
12年ぶりのヨーロッパ旅行から帰ってきて一週間がたちました。
昨日、帰国後初めてのリハーサルに臨み、
やっと普段の自分の生活に戻れたような気がします。
時差ボケもやっとなおりましたぁ\(^o^)/
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
スイス・ドイツの街々を本当にインテンシヴに訪ね廻った11日間というのは、
あーあ、やっとドイツ語勘を取り戻したのに~!
ってくらいの期間。
相変わらず、あちらでは時間の流れがゆっくり。
それも、無駄にゆっくりなのではなく、
必要なことに必要なだけ時間をかける、という、価値の詰まった時間が流れていました。
人に対しても、じっくり向かい合うだけの時間をとってくれる。
たとえばお店で買い物をするのだって、せかされないし、
東京みたいに、誰もかれもが急いでいない。
スマホを見ながら歩いている若者も見かけたけれど、
日本ほどせかせかしてはいませんでした。
無理・無駄のないしっくりとした時間の流れの中に身を置いていた時の感覚を、
忘れたくはないのだけれど、
日本の濁流のような時間の流れに、やはり飲み込まれていく自分がいます。
でも、たった11日間ではあったけれど、あの感覚を思い出せたことは、
きっとこれからの役に立つことでしょう。
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「修復されたもの」について考える
ケーテンの街は、私たちにとってはJ.S.バッハが活躍した街として
知っている人も多いと思います。
(といっても一部のクラシック音楽・古楽ファンの間くらいかもしれませんが)
バッハが楽長を務めていた宮殿は、第二次世界大戦で被害を受けた上、
その後の旧東ドイツの時代に、残った部分も改造されてしまいました。
例えばバッハが結婚式を挙げた宮廷礼拝堂は、体育館に、
城館の一部は、刑務所にされたとのことです。
現在はかなり修復が進み、
博物館となって公開されている城館2階のうち2部屋と、
宮廷礼拝堂、晩さん会などが行われた鏡の間が、
バッハが活躍した当時の様式によって美しくよみがえっています。
おかげで、ああ、バッハはこんなところで演奏したのだな、
こんな部屋でケーテン候と会話を交わしたのだな、と、
想像力を羽ばたかせることができます。
「この素晴らしい宮廷礼拝堂を無味乾燥な体育館にしてしまうなんて、
旧東時代の人たちは何てことをしてくれたんだ!」
・・・そんな心の声をきく自分がいる反面、
「いや待てよ、旧東の時代にも、そこには普通の人々が普通の生活を営んでいて、
もしかしたら、宮廷礼拝堂だった体育館には、
地元の子供たちの元気な声がこだましていたかもしれない。
そして、堅牢だったゆえに刑務所になった城館も、
街の治安維持に一役買っていたはず・・・」
修復されたもの、というのは、当然のことながら、当時の物そのものではないです。
当時と同じ材質の壁紙を張り、当時と同じ手法で化粧漆喰の浮き彫り細工を施してはいても、
それは、現代の人の手によって成されたもの。
あるランドマークが、それが最も華やかだった時の姿に戻ることは
喜ばしいことであるのは確かだけれど、
それによって、それ以外の歴史が無視されてしまったり、
隠されてしまったりすることが、あるのではないでしょうか。
私が何でこんなことを思ったかというと、
同じアンハルト候の領内で、ファッシュという音楽家が宮廷楽長をしていた
ツェルプストという町を訪れたからなのです。
そこでは、宮殿も主要な教会も、
ほぼ戦災に遭ったまま、廃墟の姿で残されていたのでした。
遠い日本から旅行をしていくには、時間的な効率は大事ですし、
やはり、有名な観光地を廻りたい、と思うのは人情でしょう。
私が日本人なんて誰も行かないようなツェルプストを訪れたのは
音楽家ファッシュに導かれたからにすぎないのですが、
例えばケーテンの宮廷礼拝堂のように、
ある場所が現在の姿に至るまでの経緯をたどって、
そうした歴史の「きれいだった」ばかりでないところにも
思いをはせることができたら、
その土地やそこに生きた人のことを、
よりよく知るということになるのではないか、と思いました。
長文、失礼いたしましたm(__)m 写真はツェルプストの聖ニコライ教会です。
by cembalonko | 2015-07-09 01:05 | 旅 | Comments(1)