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松井冬子展に行ってきました

ご無沙汰しました。
知人のコンサートに行った折、横浜美術館の
松井冬子展 世界中の子と友達になれる」に寄ってみました。

私、日本画って結構好きなんです。
失敗が許されない(らしい?)厳しさが、
線の潔さとか、濁りのない色使いとかに表れているような気がして。

さて、この展覧会は、かなり衝撃的なものでした。
「自殺」「狂気」「幽霊」「ナルシシズム」などのテーマで、
そこに描かれるものは、
切り裂かれた肉体から子宮を見せびらかす女性の姿や、
髪の毛、死に行くものの姿、異形のものたち、などなど。

展示では、作家が長い時間をかけて
徹底的になされた緻密なデッサンや、
構成を何度もやり直して下絵を作った過程なども見られて、
松井冬子さんの技術の高さや
描く素材への真摯な向き合い方が、
素人の目から見てもよく分かりました。

でも、一つ気になったことが・・・

それは、「言葉が邪魔する」ってことでした。

展示された絵には、細かく解説が付けられていて、
松井冬子さん自身が書いたものも多くありました。
彼女が、どのような思いで、
どのような思想・どのような主張・どのような感情を込めて
その絵を描いたのか。

私はそれを、画家自身の言葉で説明されてしまう前に
「絵」そのものの力で、自分自身の心で受け止めたかった、と感じました。
その絵を通して、画家が主張したかったことが「ある」のは事実だけれど、
絵から受け取るものが、見る人一人ひとり違うこともあり得る。
見ている人のその時の状況によっても変わり得る。
それでも、否応なく伝わっていくものが、図像の力であり、
絵画にしか伝えられないものであり、
私はそれを、言葉を重ねることでコントロールしないで!
と感じてしまったんですね。

なぜなら、描かれた「痛み」に凄く、共感できたから。
言葉にできない「共感」の震え・・・
これを、作者の言葉の中にも見て「ああ、やっぱりね」と思ってしまうのが、
もったいないなぁ、って思って・・・

=====

この展覧会を企画した美術館サイドは、
描かれているものにお墨付きを与えるために、
説明しなければならなかった面もあるかもしれません。
「この絵には人間の内臓とか女性器とか屍体とか描かれていますけど、
鑑賞して大丈夫なんです。芸術ですから。」ってね。

でも・・・
お友達の作曲家でエロギタリストの友人が、
前に似たようなことを書いていたのですが、
何が芸術で、何がポルノやエログロかを見極める位の感性は、
自分で磨かなきゃ。
これは学校で習えることでも、本を沢山読むことでもなく、
絶対に本物に触れることでしか培われないと思うのです。
とはいっても、私も専門家の意見(=オススメや説明)を参考にすることはあります。
でも、実際に何をどう感じるのかは、自分の中でしか生まれない。
それは、他の誰とも違うものかもしれなくて、
言葉によって共有できないものかもしれない。

だから、自分で体験して、自分の感覚の質や量(?)を
増やしていかなくちゃいけないと思うのです。

by cembalonko | 2012-02-08 13:03 | 知的好奇心 | Comments(4)

Commented at 2012-02-08 22:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cembalonko at 2012-02-09 00:42
「言葉に出来ない感性など何ほどのものか」
言葉を扱う職業の人にとっては、
そうなるのでしょうけれど、
言葉でないもので表現する私達は、そうは思いません。
衝動のような、どこからともなく湧いてくるエネルギーがあって、
それが何かと分析したって、意味がない。
それを使って、良い音さえ奏でられたら良いのです。
Commented at 2012-02-09 09:05 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cembalonko at 2012-02-09 23:34
>衝動というか、神秘の部分は
>どんな創作活動にもあるのでしょうが、
>そこに説明を求めるまでの距離がも少し長くても
>いいんじゃないかなあ、とまま思うということであります。

そうなんですか。自分が体験した現象をあえて
言葉にしてみることで、理解が深まることも
確かにありますね。