ゾフィー王女様は、それは聡明な御方でした。
私はゾフィー様がお生まれになり、ツェルプストのお城にいらした時から、
お部屋係としてお仕えしておりました。
王女様の学才は、フランスからいらしたご教育係の
マドモアゼル・カルデルも舌を巻くほど。
フランス語の詩を流暢にお読みになり、
ご自身でもお作りになるほどでしたが、
王女様はどちらかというと、歴史や政治のお話の方に、
ご熱心でいらっしゃいました。
乗馬もとてもお上手で。
宮廷楽長のファッシュ様はいつも、
「ゾフィー様がもう少しクラヴィーアのお稽古に
時間を割いてくだされば、
ブリリアントな弾き手になられますものを…」と
嘆いていらっしゃいました。
でもゾフィー様、ロシアにいらしてから、
オペラの台本もお書きになっていらっしゃるのですよ。
ペテルブルクの楽長フォーミン先生が曲を付けてくださったそうです。
もっとも、このオペラがあまり人気が出なかったのは、
ゾフィー様の台本が良くなかったのだ、などと後世の人は言っているそうですが、
ゾフィー様にとっては、さぞかし心外なことでしょうね。
…ついついおしゃべりが長くなってしまいました。
私は、嬉しいのでございます。
あの、色白で華奢だったゾフィー様が、ロシアみたいな大国を束ねられるようになって、
このような見事な絵画を収集されて。
ゾフィー様の見識の高さは、ヨーロッパの列強を唸らせるのに充分なものだったと推察いたします。
ただ…この東の国での閲覧会に際しては、
私たちの故郷ツェルプストの名前がどこにも紹介されておりませんの。
「ドイツの中小領邦」なんて、ちょっと失礼ではありませんこと?
ゾフィー様がロシアでエカチェリーナ2世となられてから、
さぞかしご苦労も多かったことでしょう。
娘を遠くへお嫁に出した母の気持ちは誰も同じ。
母君のヨハンナ様が半年とおかずに
お手紙をお送りになっていたお心、痛いほど分かります。
でもそれが、プロイセンからロシアと密通しようとした
スパイ活動と疑われようとは…
ツェルプスト=アンハルトはなくなってしまいましたが、
貫録のあるエカチェリーナ2世としてのお姿よりも、
ツェルプストのお城の隣の乗馬練習場で
お上手に馬を操っていたゾフィーさまのことを、
お部屋係の私はずっと覚えておりますよ。