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狂言講座第二回に参加してきました!

旅行会社 i-Travel主催の狂言講座第二回に参加してきました。
講師は十世三宅藤九郎先生。
この日は(8月19日)舞台の造りや、実際に狂言の演目を見るにあたっての
鑑賞ポイントを中心に解説を伺いました。
お稽古体験では、おめでたい謡(うたい)をほんの少し実演。
あれ〜?先生の声と音程が合わない…なぜだ〜?!
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初めになんと!十世三宅藤九郎先生と和泉元彌さんとの撮影タイムあり📷緊張~💦

さて、この日は最後に、前回から疑問に思っていたことを質問。
西洋ではオペラが生まれたあたりの時、言葉と音楽の関係について、
どの国でも盛んに議論されました。
言葉をメロディに載せていくときの方法論が戦わされたわけです。
(だからイタリアとフランスのオペラは全く違う発展の仕方をしたんですけどね)

狂言の場合、せりふの二音節目が高くなり、後は下がっていくという「型」は、
現代語はもちろん、狂言の基となった室町時代の日常語とも異なっていたのではないか。
そしてそれが時に言葉を理解しにくくしているのではないか。
そうしたことについての議論が、歴史上に起こらなかったのかどうかを伺ってみました。

結論は、狂言の世界ではそのような議論はおこらなかった、とのこと。
その理由は、
①もともとは神事だったから
②言葉(単語一つ一つ)の意味よりも、声の表情、ニュアンス、間といったもので、
言葉を超えて伝わるものが大きいから(問題にならなかった)とのことでした。

西洋の芸術は、まず理論ありき、と私は思っています。
日本では、理論よりも感性。感性を究極まで研ぎ澄まし、
それを頼りに芸を磨いていくものなのだなあ、と改めて納得。
もしかしたら西洋の楽人たちの間でも(世襲で器楽奏者をしていたファミリーは多い)、
実は楽譜だけに頼らず、口伝に近い形=実践を通してだけ伝えられていった
奏法もあったのかもしれない、と思うに至りました。

☆彡今日の覚えておきたい言葉☆彡

「外からの刺激(大音響・派手な照明・派手な衣装など)で呼び起こされるものは、
刺激がなくなれば消えてしまう。
しかし人それぞれの内面に呼び起こされたものは、消えることがない。
狂言とは、人の想像力によって、心の内面に起こる現象を見るもの。」
-能舞台には松の木が一本描かれているだけで、どんな場面でも背景が変化しない。
シンプルな舞台であることについての解説より。
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今日の会場 浄土宗法真寺 上の像、マリア様ではない

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こっちも、天使ではない(笑)

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三宅藤九郎先生 狂言師はお化粧をしないのだそうですが、お美し~💕



by cembalonko | 2018-08-23 21:57 | 知的好奇心 | Comments(0)