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理性はもろい

今日は、62回目の終戦の日です。
少し真面目に、命や平和について考えてみました。

最近のマイブーム、武術を通して考えたこと。
命のやり取りをする、という場面を突き詰めた武道家たちが語ることを、
聞きかじった時に、思ったことは、
私が今、「人の幸せ・自分の幸せ」を考えて生きられているのは、
単なる偶然に過ぎないかもしれない、ということ。

人は考える葦。理性を用いることができる、
だからこそ、人間なのではありますが、
生物としての存在でもある、ということを、
忘れてはいけないのではないか、
と思うのです。
私たちは、動物や植物から命をもらわないと
生きていけない存在でもある。
ということは、当然、本能の深いところには、
生を他と競うことも、刷り込まれているはずです。

折りしも昨日、ラス・カサスが書いた、
スペイン人が中南米でインディオに行った
殺戮についての報告を読んでいました。
延々と続く、スペイン人がインディオに行った拷問、
大量殺戮の報告に、
感覚が麻痺しかかる自分が、そこにいました。

平和について、考えようとする時、
私はいつ、17世紀のスペイン人になるとも、
終戦間際の東南アジアの日本兵になるとも
わからない存在なのだ、ということを
自覚することから、始めたいと思います。

時代や思潮が変わったとき、なおも、
人に対して、幸せを願えるか。
自分が絶対に殺人者にならない自信が、あるかどうか。

人間の理性など、案外もろいものなのでしょう。
そうでなければ、宗教も芸術も、
生まれなかった、と思います。

もろい「考える葦」ではあるけれど、今、ここに、
人の幸せを願う「自分」でいられることに、感謝しながら、
一日一日を大切に、生きていきたい、と思います。

支離滅裂ですが、今日のところは終わりでーす。

by cembalonko | 2007-08-15 22:00 | 日々のいろいろ | Comments(0)