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クリスマスコンサート@カトリック北浦和教会

昨日(土曜日)は、原因不明の悪寒とだるさで、
一日中、寝込みました。な~んだろ~な~・・・
本当は、私がレッスン&講座をしている、
タニタ楽器の大人の生徒さんの発表会
見に行こうと思っていたのですが、起きられず・・・残念。。。

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今日(日曜日)、体調は、何事もなかったように元に戻った(謎?)ので、
カトリック北浦和教会のクリスマスコンサートに行って来ました。

プログラム
いざ来ませ、異邦人の救い主よ J.S.バッハ(Org)
Dominus dixit ad me (グレゴリオ聖歌)
ヴァイオリンとオルガンのための6つの小品 ラインベルガー(Vn&Org)
日曜学校の子供コーラス
バレットという名のアリア フレスコバルディ(Org)
いと高きところに栄光が (客席も一緒に合唱)

オルガニストの山田早苗さんが、苦労して調律され、作り出された、
ピュアな長三和音の響き。
古典調律にぴったりと即して演奏された、奥田慶子さんのヴァイオリン。
グレゴリオ聖歌のここちよい温もりをもった声の波。
幼稚園生と小学生の子供たちの歌声は、
天使のそれそのもの。涙腺が緩みました。

私の心は、懐かしさでいっぱいになっていました。
ヨーロッパの教会で聴いた「音」そのものが、心に響いてきたから。
それを感じたのは、オルガンの調律とか、ラインベルガーの曲の美しさとか、
そういう事のせいだけでは、なかったように感じました。

「そこに集まる人々が心を一つにして、待降節を祝えるように」という、
このコンサートを作った人々すべての思い。
それゆえに、奏でられた「音」、だったからではないかしら・・・
あるべき場所で、あるべき営みの中に奏でられる音楽は、
本当に生きています。
聴いている人と演奏する人とは、隔てるものなく共鳴し合い、
聖堂全体に、温かな音空間が広がっていたように感じました。

行って良かったです♪ 幸せに包まれて帰ってきました。

♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪

最後に、子供コーラスと一緒に歌った
わたしをお使いください~マザーテレサの祈りの歌」をご紹介します。
      北浦和周辺のぬかみそが腐ってしまったら、それは、
        涙が出て音痴だった私のせい・・・


主よ 今日一日 貧しい人や病んでいる人々を助けるために 私の手を
お望みでしたら お使い下さい
主よ 今日一日 友を求める小さな人々を訪れるために 私の足を
お望みでしたら お使い下さい
主よ 今日一日 優しい言葉に飢えている人々と語り合うために 私の声を
お望みでしたら お使い下さい
主よ 今日一日 人というだけでどんな人々も愛するために 私の心を
お望みでしたら お使い下さい

by cembalonko | 2007-12-02 23:45 | 音楽 | Comments(6)

Commented by hildy at 2007-12-03 12:55 x
昨日は、いらして下さりありがとうございました。
「行って良かった」と言っていただけるのが、何よりも嬉しいですね♪準備した者には。
ラインベルガーは、懐かしい南ドイツの香り漂う曲でした。
しかし、オルガンの3度を作ったのは私ではありません。。オルガン製作者です。オルガニストの調律は、リード管を他のパイプの音に合わせるだけでして、あとはひたすら温度調節に気を使う次第です。
過去に二回ほど、暖房で大失敗をしたことがあるので、調律を褒めていただいて嬉しかったです。
嬉しかったので、リンクさせていただきました。
Commented by mumbling-miau at 2007-12-03 17:12
わぁ、いいコンサートで良かったですね!
単に音楽の美しさを感じるだけではなく、信仰に満たされて奏でるって本当にこの上なく幸福な瞬間。ビケ♪さんにもその喜びが伝わったんでしょうね♪
ここ何年か心の中の信仰の灯火が消えちゃった私には、時にその音楽が苦痛になったりもするんですけど・・・。

あ~せめてアドベントカレンダーでも出そうっと(ビケ♪さんに頂いたアレ!)。
Commented by cembalonko at 2007-12-03 22:44
>hildyさん

>ドイツの村人たちのささやかな楽しみである教会の
>アドベントコンサートをわが町でも・・・
・・・と、hildyさんがブログに書いていらっしゃる通りのイメージが、
私の心には、バッチリイメージされました☆
音楽って、本当にいいですよね~
60人以上いらしていたでしょうか。その方々皆の心に届く演奏会だったと思います。
企画や演奏・聖歌隊のご指導など、大変だと思いますが、
次回も楽しみにしております。(リンク、ありがとうございました^^)

>MIAUちゃん
そうだ!うちも、アドベントカレンダー、出してないし。
ツリーも出さなきゃ。日本の冬は忙しいよ~
ツリーは、1月6日まで飾りっぱなしにさせておくれ~

聖歌・ミサ曲・レクイエムなどは、何が心を打つか、というのは、
単に声のよしあしの問題ではないです。
先日の中大のパレストリーナを聴いていても、思ったことですが。
作った綺麗声ではだめなのですよ。上手くいえないけどね。
言葉の付いている音楽である「歌」の表現は、奥が深いです。ほんと。
Commented by k.n. in Kobe at 2007-12-04 23:19 x
ときおりこちらのHPを拝見させて頂いています。
教会でのコンサートに行かれて感動を味わわれたとのこと。
「作った綺麗声ではだめなのですよ」 というのは、
文学でも、宗教詩を読んでいると、よくわかる感じがします。
宗教者(たとえば司祭)が詩を書くときは
原罪に汚れた自分が書いた言葉を、
神たるあなたが清めて下さいますように、という祈りが
祈りが、詩の一部というか、
詩人の姿勢の一部になっているような気がします。
詩作の場合も、音楽の場合も
an artist の向こう側にいるthe Artist の存在が
意識されていて、両者が交わった時に、
「作りもの」が「本物」にされるのではないでしょうか。

マザー・テレサの祈りといえば、高校の時の教科書に以下
のようなものがありました。H之さんは、覚えているかな。

  Make us worthy, Lord,
to serve our fellow men throughout the world
who live and die in poverty and hunger.

Give us through our hands their daily bread,
and by our understanding love
give them joy and peace.

Commented by k.n. in Kobe at 2007-12-04 23:35 x
長くなったのに修正です。
(誤)Give us through ...
(正)Give them through...
Commented by ビケ♪ at 2007-12-06 09:11 x
k.n.in Kobeさま
ご無沙汰しています!お元気ですか!?
お返事が遅くなってごめんなさい!書き込みありがとうございました。

私は信仰など持っていない
(正確に言えば宗教としての信仰を持っていない)者ですが、
人の心に届くものとは何なのかを、真剣に考えた時に行き着くのは、
自分の力ではないところで、何かが働く時、のような気がしています。

そして、いつも考えさせるのは、
パフォーマンスとして宗教曲を取り上げる時の姿勢なのですね。
だから、コンサートホールでなくて、教会で、教会音楽を聴くのは、
あるべき所で生きている音楽を聴いている気がして、安心するのです。

>詩作の場合も、音楽の場合も
>an artist の向こう側にいるthe Artist の存在が
>意識されていて、両者が交わった時に、
>「作りもの」が「本物」にされるのではないでしょうか。

↑だとすると、場所は問わないということになりますね。
とてもいいご示唆をいただき、感謝です!

高校の教科書で、こんな詩を勉強するのですね~
さすが、○○○ス会の学校だけありますね。ありがとうございました!