人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ああ、やっぱり治らない・・・

病気が再発。
で、こんなの作ってしまいました!
ああ、やっぱり治らない・・・_f0018790_2226829.jpg
天然石のお店で買った福袋に、
10ミリ玉の水晶ブレスレットが入っていたのですが、
10ミリ玉だけだと、ごつすぎるので、それをほどき、
思い付きで、作ってしまいました。
我ながら、自分のイメージ通り、
いいえ、イメージ以上に、完璧に仕上がり、大満足!自己満足ですが・・・
ああ、やっぱり治らない・・・_f0018790_22304965.jpg
ちょっぴり自慢は、スクエアカットのピンクアメジストと、
その両側のロイヤルブルームーンストーン。
あとは、水晶の10ミリ玉、8ミリ玉(S字カット)、6ミリ玉(ラウンドカット)を
大きさ順のグラデーションになるように使いました。

******

私がパワーストーンにはまった理由は、前に書いたと思いますが、
天然石には同じものが2つとなく、
その、個性的なところが好きだからです。
実は、他にも、理由があります。

アレクサンダーテクニックや、柔術を習うようになって、
目に見えない「気」というものを意識するようになってから、
私は、いろんな物や人が発するエネルギーに
敏感な体質だということに、気がついたのです。
例えば、水晶に手をかざすと、
まるで、ストーブにでもあたっているように、温かく感じます。
モルダバイト(隕石)なんて、持ってるともう、熱くて熱くて。

******

初めて、天然石のブレスレットを買ったきっかけは、
その、エネルギーに敏感な体質に
関係しているのかもしれませんが、
人の痛みを、もらってしまったことなのです。
自分は何もしていないのに、
いきなり肩が痛くなったことがあり、
「これは、誰かのをもらったな」と、直感。
それが、誰のだったかも、後でちゃんと分かったのですが。
それで、気休めでも何でも、
そういうことを防ぐ必要があるのではないか、と思って、
ふらっと入った手作りグッズのお店で、
記念すべき、最初の天然石ブレスレットを手に入れたのでした。

by cembalonko | 2008-04-01 22:32 | 日々のいろいろ | Comments(4)

Commented by kgre at 2008-04-02 08:52 x
おはようございます。お礼状をありがとうございます。来年の演奏会も聴きに行きたいと思ってます。
「気」・・・・先日、ブログにビーナスの絵のポスター?が駅に貼ってあり・・・・と書いてありましたよね。とっても感じるものがありました。それに、グレゴリオ聖歌演奏会のときもそのようなことを意味することを書いておられたと思います。
仕事で美術館などに出かけることがありますが、絵や彫刻にはどこにどのような目的で作られたのかがあるのだろうと思います。以前ラファエロの聖母子像の絵がメインの展覧会の時にそのようなことを感じました。音楽でもそう。ミサ曲はもとより、宗教曲を聴くのにコンサートホールというのはなんだか落ち着かないかなぁと感じます。もちろん、音楽としても演奏会自体としても素晴らしいと思います。でも、その落ち着きなさはやはりcembalonkoさんが書かれていた「言葉」を読んで、感じていることと言葉が結びついたんだと思います。
芸術に限らず、自然にあるものにも「気」がありますね。自然や人間。それらが生み出すものの尊さでしょうか。
Commented by kgre at 2008-04-02 08:52 x

先日某歌い手さんにはこちら側の趣旨を送り改めてお願いしましたが、正式なお返事はまだなのですよ。忙しい時期のお願い事なので調整がまだ出来ないのかもしれません。その人には悩みごとを伝えてしまい申し訳ないかなぁと思ってます。

残念ながら青梅にうかがうのは難しいと思いますが、どうぞ良い演奏になることを願っています。
Commented by cembalonko at 2008-04-02 21:41
ありがとうございます!青梅でも、いい演奏会になる様にがんばります!
>絵や彫刻にはどこにどのような目的で作られたのかが
>あるのだろうと思います。 >音楽でもそう。
古典として、再現されるクラシック音楽、
特に、私たちが扱っているような音楽では、
もともと何かの目的のために作られたものがほとんどです。
同時代の絵画も、そうだと思いますが。
そういう音楽を演奏する時に私たちが考えること、それは、
曲が作られた当時と、時代も場所も聴き手の感覚もまったく違うところで
パフォーマンスをする意味、そして、
何を伝えられるのか、ということなのですね。
Commented by cembalonko at 2008-04-02 21:49
もしかして、「この曲は、何年にどこそこの教会で、
○○の礼拝のために作曲された」とか、
「この聖母子像は、どこどこの教会の祭壇画だったもの」とか、そういう
「予備知識」が、
その芸術が時空を超えて、ダイレクトに発する何かを受け止めるのを
妨げていることも、あるかもしれないなー、とも思います。
コンサートホールで宗教曲を聴くのが落ち着かない、という感覚、
分かります。でも、時や場所がどこであれ、
そこでパフォーマンスが行われるということは、
それを受け取る必要がある人が、必ずいる、ということだと思います。

人の心に何かを感じさせるもの全てに、「気」は宿っているのでしょうね。
なんだかまとまりのないレスになりました。ごめんなさい。